木村正義とは? わかりやすく解説

木村正義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/06 09:49 UTC 版)

木村正義

木村 正義(きむら まさよし、1890年明治23年)1月1日[1] - 1952年昭和27年)9月28日)は、日本の文部官僚政治家衆議院議員(4期)。

略歴

東京出身。1915年(大正4年)、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。官界に入り、京都府久世郡長、文部書記官文部大臣秘書官文部省学生部長、同省実業学務局長などを歴任。

1932年(昭和7年)2月、第18回衆議院議員総選挙熊本県第1区で立憲政友会から出馬し当選。以後、第19回第20回1942年(昭和17年)の第21回総選挙翼賛政治体制協議会候補)まで連続4回の当選を果した。この間、立憲政友会総務、第1次近衛内閣内務参与官米内内閣大蔵政務次官を歴任した。

1945年(昭和20年)4月21日に親任式に出席。香川県知事に就任[2]。同年6月10日より同年10月31日まで四国地方総監を兼任した。戦後、公職追放となる[3]1951年追放解除[4]。翌1952年死去。

著作

栄典

脚注

  1. ^ 衆議院『第七十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1936年、30頁。
  2. ^ 宮内庁『昭和天皇実録第九』東京書籍、2016年9月29日、449頁。ISBN 978-4-487-74409-1 
  3. ^ 公職追放の該当事項は「翼賛支部長、武徳会香川支部長」。(Template:Citation日)
  4. ^ 『毎日新聞』1951年8月7日二面。
  5. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

  • 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。ISBN 9784816918056
公職
先代
土肥米之
四国地方行政協議会会長
四国地方総監
1945年
次代
田中省吾
四国地方行政事務局長官
先代
清瀬規矩雄
大蔵政務次官
1940年
次代
小笠原三九郎
先代
肝付兼英
内務参与官
1937年 - 1939年
次代
中井一夫
先代
(新設)
航海練習所
1930年 - 1932年
次代
菊池豊三郎
先代
長世吉
京都府久世郡長
1918年 - 1919年
次代
平田光雄




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