木の股に少年をおく遠花火
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評 言 |
山本千之はヒューマニストであると同時にロマンチストである。掲句の少年が作者自身であるとすれば、孤独者であったとも言えよう。専攻は数学であり、俳句の表現に於いても読者の心の動きを計算できる俳人だった。 戦争中にも、戦後も、思想的には激動期にあったわれわれの世代にあって、なかなか自分の考えを表に出せなかった。その時代にあって、俳句は唯一自分の思想を吐露できる場であったと言えよう。青年時代に太田鴻村の「林苑」に参加、大阪に勤務地を移した後は、赤尾兜子の「渦」に参加、同人会長代行まで勤め上げた。その後、「一粒」代表を引き受け、その発展に貢献する傍ら、平成18(2006)年の8月この世を去るまでの、関西現代俳句協会々長を勤め上げた。 この俳人にはいくつかの屈折点があった。そして、その屈折点を乗り越えるごとに新しい分野への挑戦を繰り返した。全てを投げ出した時に彼は次へのステップを踏み出すことが出来たように思う。ことばを追い、ことばを弄んだ時代から抜け出した彼は難解な俳句と言われる時代が続いた。その難解な時代を抜け出し、人生の苦悩を味わった時代こそ、次々に名作を産出した。二三の句を紹介して、筆を閉じよう。 冬の日をまんぼうでいる槽の底 立春の樹幹の水を聴きにゆく 補助線を引き凍蝶をかがやかす ガジュマルの天地玄黄春疾風 俳句を短詩型文学と位置づけ、あくまで詩想をその中に追い求めた彼の執念こそが私たちを俳句の王道への道標と言うことであろう。 |
評 者 |
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備 考 |
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