朝日神明宮
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朝日神明宮は、浪速三神明(朝日神明宮・日中神明宮・夕日神明宮)の一つに数えられて、大阪市中央区神崎町にあった。平貞盛が父平国香を(平将門の乱)によって、平将門に殺されたために、父の仇を討つため、天慶年間(938年~947年)、大阪に天照皇大神を奉祀し、社殿を営んで戦勝祈願を行ったことを創建の起こりとする。その後、平貞盛が平将門を討ち取ったことを朱雀天皇に奏上すると、御神徳を讃られて、「朝日宮」の社号を贈られた。以後、朝敵追討の際は、奉幣使を遣わして、敵徒降伏の祈願を行った。 源義経が平家追討へ西国へ赴くとき、戦勝祈願を行った。源義経と梶原景時が「逆櫓の論」を行ったが、朝日神明宮において、平家追討の祈願を行ったので、戦勝の確信があり、梶原景時に論争を挑んだという。この故事から、別称が逆櫓社と呼ばれるようになった。 豊臣時代、大坂城築城の際、多くの社寺が遷座を命じられたが、遷座させられることはなく、豊臣秀吉の崇敬を受け、毎年、米百俵の寄進が行われた。また、大坂夏の陣(1615年)では、真田幸村が金色の采配を奉納し、出陣したとされる。 江戸時代、大坂城代が参拝し、神前に供物を献じている。
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