朝廷による酒造り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 09:39 UTC 版)
造酒司 持統3年(689年)には飛鳥浄御原令に基づいて宮内省の造酒司(さけのつかさ / みきのつかさ 「造酒寮」とも)に酒部(さかべ)という部署が設けられた。701年(大宝元年)には大宝律令によってさらに体系化され、朝廷による朝廷のための酒の醸造体制が整えられていった。酒部は部署の名称だけでなく、今日の杜氏(とうじ)にあたる醸造技術者をも指す。造酒司の建物は、酒を醸造する甕がならんだ酒殿(さけどの)、精米をおこなう舎である臼殿(うすどの)、麹を造るための麹室(こうじむろ)の計三宇という配置であった。造酒司で造られる酒は麹は現在の製法と同じ米から造るばら麹で、米と麹と水を甕に入れて混ぜ合わせ、醗酵期間は十日ほどの薄い酒であった。 また967年(康保4年)に成立した『延喜式』によれば、主に造られる酒質は米と麹を数回に分けて仕込む濃い味の酒になっており、後世の段仕込みの原型がすでにうかがわれる。また、小麦を使った酒、麹を多く使った甘口の酒、水で割った下級酒など、今日の麦焼酎、貴醸酒、低濃度酒の原型を想わせる製法が10種類ほどあった。さらに醪を酒袋に吊るして搾ったり、上澄みを採ったりという技術は、今日のものと同じといってよい。
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