望月信成とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 人名 > 美術人名辞典 > 望月信成の意味・解説 

望月信成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/07 09:19 UTC 版)

望月 信成
人物情報
生誕 (1899-06-14) 1899年6月14日
日本京都府京都市
死没 1990年5月28日(1990-05-28)(90歳没)
日本大阪府大阪市
出身校 東京帝国大学京都帝国大学
学問
研究分野 美術史
研究機関 京都国立博物館大阪市立美術館大阪市立大学
テンプレートを表示

望月 信成(もちづき しんじょう、1899年6月14日 - 1990年5月28日[1])は、日本の美術史学者。

経歴

出生から修学期

1899年、京都府京都市で生まれた。東京帝国大学文学部美学美術史学科を卒業し、大学院は京都帝国大学大学院に進んだ。1929年に京都帝国大学大学院を修了。

卒業後の1929年9月に、恩賜京都国立博物館鑑査員となった。1931年4月より文部省帝国美術院付属美術研究所嘱託を勤め、1936年に大阪市美術館主事に転じた。

戦後

1949年9月に大阪市立美術館館長に任命され[2]、1950年には大阪市立大学教授にも任命された。大阪府史跡名勝天然記念物調査協力委員など多数の役職を兼ね、大阪の文化の発展に尽くした。1965年に大阪市立美術館を定年退職した後は、帝塚山学院大学教授として教鞭をとった。

宗門においても知恩院など文化財の保護に努め、1964年に大僧正となった。1990年に肝不全のため死去。

委員・役員

受賞・栄典

研究内容・業績

  • 博物館勤務を通じて文化財の保存と保護に努め、また関西の文化の発展に尽くした。
  • 美学研究者としては仏教美術・南画研究を専門とした。美術鑑定の面でも活動し、重要文化財の発見という業績も挙げた。

家族・親族

  • 父:望月信亨は仏教史学者。『仏教大辞典』の著者であり、知恩院管長も勤めた。

著作

著書
  • 宇治醍醐京阪電気鉄道(趣味の京阪叢書) 1939
  • 呉春 東洋美術文庫』アトリヱ社 1940
  • 『日本上代の彫刻』創元社 1943
  • 『仏像仏画の話』仏教文書伝導協会(仏教布教大系) 1949 
  • の観音』創元社 1960
  • 『日本の水墨画』河原書店(日本の美と教養) 1967 
  • わびの芸術』創元社 1967
  • 『常識としての仏像知識』浄土宗宗務庁 1975
  • 『ひと筋の細い道』清文堂出版 1984
  • 仏像をみる』学生社 1986
  • 『神・仏と日本人』学生社 1987
  • 地蔵菩薩』学生社 1989
  • 阿弥陀如来』学生社 1991
著作集
  • 『日本仏教美術史 望月信成集』(昭和仏教全集) 教育新潮社 1968
共編著

参考文献

脚注

  1. ^ a b 『現代物故者事典 1988~1990』(日外アソシエーツ、1993年)p.634
  2. ^ 大阪市立美術館時代の美術館行政については、後に自伝として『一筋の細い道』(昭和59年・前田清文堂)で語っている。

    



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「望月信成」の関連用語

望月信成のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



望月信成のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
株式会社思文閣株式会社思文閣
Copyright(c)2025 SHIBUNKAKU Co., Ltd. ALL RIGHTS RESERVED.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの望月信成 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS