有り余った北軍の将軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/08 16:33 UTC 版)
「スティーブンス砦の戦い」の記事における「有り余った北軍の将軍」の解説
第6軍団の到着で是非とも欲しかった古参兵の援軍がもたらされた。これはまたごちゃ混ぜになっていた北軍の指揮系統にもう一人の高級士官が加わることでもあった。ワシントンの防衛軍は主要戦線から外されたか怪我や病気のために野戦指揮が取れない多くの将軍達の溜まり場になっていた。アレクサンダー・マクックは外された方の一人であり、チカマウガの戦い後に指揮官を解任されて以来指揮を執っていなかった。しかし、マクックはポトマック川とワシントン防衛軍の指揮官職にあり、ワシントン軍管区を指揮するクリストファー・コロンバス・オーガーよりは上級だった。オーガーはまた第22軍団の指揮官でもあり、その軍団は首都の防御工作を受け持っていた。参謀長のヘンリー・ハレックはニューヨーク市のクィンシー・A・ギルモア将軍を呼びつけ、第19軍団からの分遣隊の指揮を執らせた。アメリカ陸軍主計総監モンゴメリー・メグズはマクックの直接指揮下にある「緊急師団」の指揮を執った。総司令官であるエイブラハム・リンカーン大統領自らも戦場に到着した。マクックはアーリーの進軍に直面してあまりにも多くの将軍がいる現実を整理しようと務めた。将軍達の中から自分自身は外せず、あちら立てればこちらが収まらない状況だったが、何とか機能する指揮系統を作り上げた。マクックが総指揮を執り、ギルモアが砦の北東前線(リンカーン砦からトッテン砦まで)の指揮を受け持ち、メグズは北の前線(トッテン砦からデラッシー砦まで、スティーブンス砦を含む)、オーガーの第1師団指揮官マーティン・D・ハーディン准将が北西前線(デラッシー砦からサムナー砦まで)の指揮を受け持つことになった。ライトと第6軍団は予備隊とされたが、マクックは即座に古参兵の軍隊がアーリー軍に対して前線に出る必要があると言ってこれに反対する決定を下した。実際にハーディン隊がいくらか軽い小競り合いに参戦したが、マクックが意図したようにライトの古参兵部隊が戦闘の矛先に立った。
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