最強神話崩壊と過渡期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 00:52 UTC 版)
1996-97シーズンは、ダービッツ、ミハエル・ライツィハー、ピエトロ・ヴィエルコウッド、クリストフ・デュガリーらを獲得したが、ファビオ・カペッロがレアル・マドリードへ去ったことで守備基本からスペクタクル重視へ戦術が切り替えられ、また、ボスマン判決によるEU圏内の外国人選手が大量加入したことでチームバランスが崩れ始めた。そこに、主力選手の高齢化、とりわけバレージらベテラン選手の衰えと後述のサッキやカペッロの監督復帰が追い打ちをかける形となった。序盤戦からリーグでは低迷し、UEFAチャンピオンズリーグでもウェアの暴力行為による退場処分と出場停止処分の影響で予選リーグ敗退した。その責任を取るかたちでオスカル・ワシントン・タバレスが解任され、かつて栄光を築いたアリゴ・サッキが監督に復帰したものの、チームの改善には至らず、シーズン途中にパヌッチがレアル・マドリ―へ移籍、長年チームを支えたバレージ、タソッティが引退、F.ガッリは移籍、また目立つ活躍が出来なかったR.バッジオも退団した。1997-98シーズンには1年でレアル・マドリードの監督を解任されたカペッロを連れ戻す、パトリック・クライファート、アンドレ・クルス、クリスティアン・ツィーゲ、イブラヒム・バらを大型補強するもかみ合わず、シーズン開幕後に数年間獲得を試みていたパリSGからレオナルド・ナシメント・ジ・アラウージョを獲得、MLSに移籍していたドナドーニを復帰させるも低迷脱却には至らなかった。シーズン終了後デヤン・サビチェビッチ、マルセル・デサイーが退団した。 1998-99シーズンは、監督にウディネーゼで旋風を起こしたアルベルト・ザッケローニを招聘し、1997-98シーズンのセリエA得点王であるオリバー・ビアホフとトーマス・ヘルヴェグをウディネーゼから獲得。序盤こそ苦戦していたが、アルベルティーニ、コスタクルタ、マルディーニ、ドナドーニ、ボバンら栄光を知る主力選手がチームを牽引、加えてマッシモ・アンブロジーニやクリスティアン・アッビアーティら若手の台頭もあり、終盤に勝ち点でSSラツィオを逆転して悲願のスクデットを獲得した。シーズン終了後ドナドーニが退団した。 1999-00シーズンはアンドリー・シェフチェンコ、ジェンナーロ・ガットゥーゾの獲得に成功したが、久しぶりに出場したUEFAチャンピオンズリーグでは、リーグ拡大による試合スケジュールの過密化によって、ターンオーバー制の導入が追いつかず、また、ウェアが1996-97シーズンに受けた出場停止処分を消化しなければならなかったことも影響して一次リーグ敗退。リーグでは3位で終了する。 2000-01シーズンは、リーグでは優勝争いから離脱、UEFAチャンピオンズリーグでも2次リーグ敗退によって、シーズン途中でザッケローニは解任された。後任にはチェーザレ・マルディーニが就任、ミラノダービーではインテル相手に6-0で歴史的大勝した。
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