暴虐にて好色なる君主
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 07:35 UTC 版)
『大越史記全書』の記載によれば、黎龍鋌は残虐嗜好の持ち主であり、その暴虐は父に勝った。さらに黎龍鋌は人に心理的・肉体的苦痛を与えるために様々な工夫を凝らすことを一種の趣味とした。あるとき行幸した川に多くの毒蛇が潜むと聞きつけた黎龍鋌はわざと小舟を河中に進みこませ、蛇害を恐れる人々を戦かせた。またある時は郭昂なる僧侶の頭を台としてサトウキビを刻み、わざと手元を損ねて僧の頭が傷つき血を流す様に爆笑した。またある時は諸王を招いた宴席にそれとは知らせず猫肉料理を供し、列席者が腹に収めた頃合いに「材料」として猫の頭を披露した。そして、列席者が吐き気を催す様を見て喜んだ。 黎龍鋌は罪人を処刑するにあたり、様々な酷い方法を用いた 罪人に油を染み込ませた藁を巻き付けた上、火を放って焼き殺した。 わざと切れ味を鈍らせた刃物で罪人を凌遅刑に処し、死にきれず呻く姿に大笑いしていた。 異民族の捕虜を波打ち際に作った牢に閉じ込め、満潮で徐々に水中に没して溺死する様を見ては喜んだ。 山の崖際に生えた木に罪人を登らせた上で、その木を切り倒した。そして墜落死するさまを眺めて楽しんだ。 黎龍鋌の元には佞臣が侍り、宮中は乱れた。 このほか黎龍鋌は好色でもあった。弟の黎龍鏦が宋に朝貢した折、蕭氏なる女性を騙して大瞿越に連れ帰らせ、自らの愛妾とした。痔を患い床の上に臥したままで政務を執った(「臥以視朝」)ため、時の人は黎臥朝(ベトナム語:Lê Ngọa Triều / 黎臥朝)と綽名した。ベトナムの民間伝承では、過度の酒色が原因とされる。
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