暗殺への反応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/17 16:38 UTC 版)
「ダーハム・W・スティーブンス」の記事における「暗殺への反応」の解説
日本の外交界や、スティーブンスをよく知る韓国のアメリカ人宣教師の間では、彼の暗殺のニュースは悲しみと共に受け止められた。当時の駐日アメリカ大使トーマス・オブライエン(英語版)は、"The utmost grief is expressed by everyone.(皆が最大限の悲しみを表明する)"と述べ、自身にとってスティーブンスは真の友であり有能な友人だったと付け加えたと報道された。イェール大学の教授ジョージ・トランブル・ラッドはニューヨーク・タイムズの編集者へ送った手紙の中で、この襲撃を卑劣で驚くほど残忍だと非難し、韓国人を"bloody race(血塗られた人種)"と呼んだ。また、ジョージ・ヒーバー・ジョーンズ(英語版)など韓国での他の数件の暗殺とスティーブンスの件を比較して、韓国において政治的暗殺は孤立した出来事ではなく全く奇異ではないのだと結論づけ、この出来事から韓国人の性格と韓国の自治方法を正確に評価する上で有益な教訓を得られると述べた。一方、2009年の韓国の新聞では、当時のアメリカでは張仁煥は愛国者の見本として報道されるなど、米国でも共感を得たと報道された。 張仁煥と田明雲は別個にスティーブンス殺害の裁判を受けたが、2人が共謀したという証拠は不十分だった。田明雲はすぐに告訴を取り下げられた。韓国系共同体は張仁煥を弁護させるために3人の弁護士を雇った。その中の1人であるネイサン・コフランは最終的にこの件をプロボノとする、すなわち無償で弁護することに同意した。裁判の間、コフランはアルトゥル・ショーペンハウアーの"patriotic insanity(愛国的な狂気)"の理論を用いて、心神喪失により無罪だと主張する計画を立てた。1908年12月23日、陪審員は張仁煥の罪状を第2級謀殺とした。 後に、韓国の記事はスティーブンスを韓国の裏切り者と記述し、張仁煥と田明雲を愛国者、英雄であると表現した。2009年の新聞でも、スティーブンスは「日本の役人よりも親日的」だったとし、張仁煥と田明雲は義士であり2人による暗殺は正当な理由で行われた義挙だと報道した。
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