旭伸航空消滅後の佐渡路線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 03:23 UTC 版)
「旭伸航空」の記事における「旭伸航空消滅後の佐渡路線」の解説
同空路の休止後、沖縄県に本社を置いていたエアードルフィンが路線再開に名乗りを上げ、2009年度中を目途に運航を再開する予定であった。ところが、同社の親会社であるサイバーファームが2009年1月に自己破産を申請し(のちにエアードルフィンも、同年11月に自己破産を申請)、事実上経営破綻した事で計画は事実上撤回された。県内では佐渡空港と羽田空港を結ぶ空路開設の可能性を探るため、新規に県と佐渡市の出資による航空会社を設立する構想を打ち出し、その一環としてこの会社が新潟空港間の空路も運航する案が浮上したものの、結局これらも具体化には至らず、空路再開は一時流動的なものとなった。 その後鹿児島県に本社を置く新日本航空が運航に名乗りを上げ、2011年7月の運航再開を目指し、計画が進められた。しかし、同社は本格的な旅客業務を行うのが初めてであり、当初は2010年4月中の運航開始を予定していたものの、同社が国土交通省に提出した運航計画に関して「運航要員の増員」(当初予定のパイロット2名を3名に増員)「使用機体の見直し」(当初予定の6人乗りを10人乗りに変更)などの見直しを求められたことから運航開始の目途が立たなくなった。当時同社は10人乗りの機体を保有していなかったことなどから事態は一時流動的となり、2010年度中の運航再開には至らなかった。新日本航空はその後運航計画を再検討した結果、佐渡線の運航を2011年7月に開始する旨を同年1月19日に発表した。9人乗りの機体を使用して1日3〜4往復運航し、旭伸航空の際と同様に県と佐渡市が赤字額の9割(合計約6400万円)を上限に補填することとし、佐渡線の運航は新日本航空に引き継がれることとなった。
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