旧跡・墓所とは? わかりやすく解説

旧跡・墓所

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/07 18:45 UTC 版)

角間川の戦い」の記事における「旧跡・墓所」の解説

旧北島家住宅主屋 大仙市角間川町西中上町17番地。北島家江戸時代前期越後国から移り住んだ旧家で、天保4年(1833)建築と伝わる主屋が残る。8月4日新庄藩婦女逃れてきて100人が角間川泊まり、内15人が北島三左衛門家に泊まる12日長州藩三原昌助が新庄勢の隊長として角間川に陣を張った際、北島家宿所として終日軍議開いた家族は隣の金沢西根村避難していた。13日角間川の戦い村内民家はほとんど焼失したが、庄内藩二番大隊中村権太夫の本陣となった北島家と、村外れ小家7・8戸は焼失免れた鉄砲銃弾痕が残ると伝わる。(北島家史料池田家文書六郷役屋文書」) 登録有形文化財旧本郷家住宅 大仙市角間川町西中上町19番地。新政府軍は、本郷右衛門家の前の浅舞街道沼館街道角間川街道)に大砲据えて待ち構え阻止図った当時建築としては、慶応3年(1867)に着工し戦火免れて明治2年(1869)に竣工した文庫蔵が残る。 陀仏の古戦場戊辰之役鎮魂碑大仙市角間川町字艮9番地周辺川港親水公園内)。角間川から横手川の上100m程にある渦巻く深い淵で、激戦地となった場所。元々は新政府軍墓石1015基程あり毎年8月13日浄蓮寺供養していたが、昭和22年19477月22日大洪水悉く河底埋没した平成4年19929月28日戊辰之役鎮魂碑建立され角間川の戦い戦死した秋田藩士7名、新庄藩士3名が弔われている。 覚善寺 大仙市角間川町小中島18番地。角間川の戦い戦死した秋田藩士3名が弔われている。 浄蓮寺 大仙市角間川町東本町82番地角間川の戦い戦死した秋田藩卒、新庄藩銃士の2名が弔われている。

※この「旧跡・墓所」の解説は、「角間川の戦い」の解説の一部です。
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