旧跡・墓所
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旧北島家住宅主屋 大仙市角間川町字西中上町17番地。北島家は江戸時代前期に越後国から移り住んだ旧家で、天保4年(1833)建築と伝わる主屋が残る。8月4日に新庄藩の婦女が逃れてきて100人が角間川に泊まり、内15人が北島三左衛門家に泊まる。12日に長州藩の三原昌助が新庄勢の隊長として角間川に陣を張った際、北島家を宿所として終日軍議を開いた。家族は隣の金沢西根村に避難していた。13日の角間川の戦いで村内の民家はほとんど焼失したが、庄内藩二番大隊の中村権太夫の本陣となった北島家と、村外れの小家7・8戸は焼失を免れた。梁に鉄砲の銃弾痕が残ると伝わる。(北島家史料、池田家文書「六郷役屋文書」) 登録有形文化財旧本郷家住宅 大仙市角間川町字西中上町19番地。新政府軍は、本郷吉右衛門家の前の浅舞街道・沼館街道(角間川街道)に大砲を据えて待ち構え、阻止を図った。当時の建築としては、慶応3年(1867)に着工し、戦火を免れて明治2年(1869)に竣工した文庫蔵が残る。 陀仏の古戦場(戊辰之役鎮魂碑) 大仙市角間川町字艮9番地周辺(川港親水公園内)。角間川橋から横手川の上流100m程にある渦巻く深い淵で、激戦地となった場所。元々は新政府軍の墓石が10〜15基程あり毎年8月13日に浄蓮寺が供養していたが、昭和22年(1947)7月22日の大洪水で悉く河底に埋没した。平成4年(1992)9月28日に戊辰之役鎮魂碑が建立され、角間川の戦いで戦死した秋田藩士7名、新庄藩士3名が弔われている。 覚善寺 大仙市角間川町字小中島18番地。角間川の戦いで戦死した秋田藩士3名が弔われている。 浄蓮寺 大仙市角間川町字東本町82番地。角間川の戦いで戦死した秋田藩卒、新庄藩銃士の2名が弔われている。
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