旧島民の帰島問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 23:01 UTC 版)
「硫黄島 (東京都)」の記事における「旧島民の帰島問題」の解説
上述の通り、原則として基地に勤務する自衛隊員及び建設業者等の関係者以外の上陸は禁止されているが、戦没者の慰霊祭が現地で開催される際等には、旧島民や遺族、それに戦没者の遺族等の上陸が許可されている。 現在も一部の旧島民および遺族は日本国政府に対して基地敷地の一部返還と帰島を求めている。政府は復帰直後の1968年(昭和43年)から旧島民に対して断続的に意向調査を行い、東京都は生活再建資金のための資金の貸付を行っている。1979年(昭和54年)6月に小笠原諸島振興審議会内に硫黄島問題小委員会を設置、1984年(昭和59年)、硫黄島問題に関する意見に『一般住民の定住は困難であり、同島は振興開発に適さない』という具申を受け現在の結論としている。この理由として、 火山活動による異常現象が著しい、 産業の成立条件が厳しい、などを挙げた(これ以外に生活には公共インフラを復旧させる必要がある)。この結論を受けて政府は旧島民に見舞金の支給を開始し、集団移転のための事業を開始している。 旧島への墓参事業は東京都が年数回行っており、数十人が参加している。慰霊祭のときは、小笠原諸島父島から小笠原海運の貨客船「おがさわら丸」で島へ向かい、船積みの小型ボートで島に上陸するか、航空自衛隊機を使用して来島することになる。遺族からの要望で2007年3月6日の慰霊訪問以降は、民間旅客機によるチャーター便が運航されることになった。2007年の訪問では、日本航空がMD-90型旅客機を運用してチャーター便運航を実施したが、燃料補給が不可能なことから燃料を往復分積みこんだため、スタッフを含め110名しか運べなかった。
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