日本人初のオペラ
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東京音楽学校在学中の1903年(明治36年)7月23日、奏楽堂に於いて催された日本人の手による初めてのオペラ公演に出演し、成功を収める。1904年(明治37年)に同学校を卒業した後、奨学金を得て研究科に入ると同時に「授業補助」の辞令を受けて声楽を教えるようになる。その後、助教授となる。この間に山田耕筰らを指導した。1911年に帝国劇場に所属して、1912年3月にレコード初吹き込みを行い、プリマドンナとして活躍を続ける。このレコードでは日本で数多くの声楽家を育てたイタリア人テノール歌手であり、環も師事していたアドルフォ・サルコリ(1867-1936)とオペラ《カヴァレリア・ルスティカー》の一部も吹き込み、これが日本の本格的なクラシック音楽の最初のレコードとされている。また、環が《蝶々夫人》の楽譜を最初にもらったのもサルコリである。
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