日本人初のビートボクサーの誕生と日本国内での概念形成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 05:41 UTC 版)
「ヒューマンビートボックス」の記事における「日本人初のビートボクサーの誕生と日本国内での概念形成」の解説
日本人初のビートボクサーは、Afra(本名:藤岡章)である。Afraは、日本国内で“ボイパ”(正しくは、ボーカル・パーカッション)という言葉しか知られていなかった2000年7月10日に、ニューヨークのセントラルパークで毎年開催される音楽イベント“Summer Stage”に日本人初のビートボクサーとして出演した。その後、Afraは2003年に活動の拠点を日本に移し、FUJI XEROXのテレビCMに出演した。 このテレビCMは、ビートボクサーを全く知らない人たちに、ヒューマンビートボックスという音楽表現の存在が認知されるきっかけを与えたとされる。 なお、ボーカル・パーカッションとヒューマンビートボックスは、どちらも既存の楽器の音を模倣した言語音を使ったり、直接的模倣音を使ったりするため、日本国内ではこれらが混同される場合が少なくない。特に、日本においては、ア・カペラ・グループの演奏を競い合うテレビ番組の中で、「ボイス・パーカッション」(正しくは、ボーカル・パーカッション)という呼称やその表現が先行して広まったこともあり、ボーカル・パーカッションとヒューマンビートボックスが定義の上で混用される例も多い。しかし、ヒューマンビートボックスの世界大会である、BEATBOX BATTLE WORLD CHAMPIONSHIPなどの場に於いては、ボイス・パーカッションという呼称は理解されないことも多く、日本におけるボイス・パーカッションの概念は、海外ではボーカル・パーカッションあるいは、ヒューマンビートボックスとして理解されている。
※この「日本人初のビートボクサーの誕生と日本国内での概念形成」の解説は、「ヒューマンビートボックス」の解説の一部です。
「日本人初のビートボクサーの誕生と日本国内での概念形成」を含む「ヒューマンビートボックス」の記事については、「ヒューマンビートボックス」の概要を参照ください。
- 日本人初のビートボクサーの誕生と日本国内での概念形成のページへのリンク