日本人のシャンソン歌手第一号 フランスでの活動
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「高英男」の記事における「日本人のシャンソン歌手第一号 フランスでの活動」の解説
昭和26年(1951年)、フランス・パリへ留学。1年間ソルボンヌ大学で学んだ。昭和27年(1952年)に帰国しリサイタルを開催した。フランスから持ち帰った『愛の讃歌』『ロマンス』『詩人の魂』などを日本人としては初めて披露した。また、このときの中原淳一の発案で、「日本人のシャンソン歌手第一号」と呼称した。 昭和28年(1953年)にはキングレコードから『枯葉/ロマンス』でレコードデビューした。この年、作曲家の中田喜直からの指名で『雪の降る町を』を吹き込んだ(レコーディングした)。続いて、『詩人の魂』『セ・シ・ボン』『パダム・パダム』など、シャンソンを次々吹き込んだ。その一方で、日本劇場(日劇)等の舞台にも多く出演した。日劇では昭和56年(1981年)の閉館まで、トップスター扱いでほぼ毎年出演し、活躍した。 昭和33年(1958年)、再びパリへ行き翌34年帰国。昭和36年(1961年)へ三度パリへ行き、大手プロダクションと8年間の長期契約を結んだ。そのため、「1年の10ヶ月はフランス、2ヶ月は日本」という生活を昭和44年(1969年)まで続け、日仏両国で精力的に活動した。パリではラジオのレギュラー番組ももっていた。そのほか、ジョゼフ・コスマやダミアなどとも親交を結び、多くの大劇場に出演しトリを飾るなどしている。
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