日本の皇族・華族との婚姻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/27 09:02 UTC 版)
梨本宮守正王の娘方子女王は、日本に留学中の李垠と婚約し、1920年に結婚している。方子女王はしばしば「日本の朝鮮支配の犠牲になった悲劇の王妃」と呼ばれた。しかし夫婦仲は良好で李垠の妹の李徳恵とも一緒にテニスをするなどして仲良く暮らした。夫妻は男子を二人儲けたが、一人は夭折した。日本の敗戦後、李王家は王族の地位を失い、韓国が独立。李夫妻は韓国への帰国を希望したものの、韓国の李承晩政権は旧王家で親日的な李垠一家を冷たくあしらった。そのため一家は韓国民になれず無国籍者として日本で暮らしたり、息子の玖がいたアメリカで暮らしたりしていたが、朴正煕政権下でようやく韓国籍の取得が許され、1963年に夫妻は韓国へ帰国した。方子女王は夫が死んだ後も韓国に残り、韓国の社会福祉活動に貢献した。 他に李鍵公が高松松平伯爵家分家の松平胖の娘で廣橋眞光伯爵の養妹の誠子と結婚。また李徳恵が宗武志伯爵と結婚している。しかし戦後、李垠・方子夫妻以外はそれぞれの理由で離婚している。
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