日本の導入
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日本で最初に同機を購入したのは、安西史孝(1958年11月16日 - )率いるTPOで、シドニーのフェアライト社まで直接買い付けに行ったという(日本搬入時、税関に本機を「楽器」と説明するのに大変苦労したという逸話がある)。その当時のヴァージョンはまだシリーズIで、同機の売りの一つである簡易シーケンサー・ページRはまだなかった。フェアライトCMIをメインの楽器に据えたTPOは、同じくフェアライトCMIをメインの楽器に据えたバンドであるアート・オブ・ノイズのデビューよりも1年早い1983年にデビューアルバムである『TPO1』を発売した。 日本で輸入販売が始まったのは1982年発売のシリーズIIからで、松下電器貿易が輸入を、販売は大阪のナニワ楽器(現イーフロンティア)が担当していた。 安西史孝が音楽を手がけた映画「うる星やつら オンリー・ユー」、久石譲が音楽を手がけた映画「風の谷のナウシカ」や「天空の城ラピュタ」、坂本龍一の『音楽図鑑』や『未来派野郎』にもフェアライトCMIが使用されている。坂本は1986年中盤からフェアライトCMIの後継機であるフェアライトⅢに使用を切り替え始めたが、AKAI製のサンプラーが登場し始めた頃からポジションを失い始めた。いずれにしても80年代から90年代初頭にかけて全盛期を誇った。
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