日本のバラック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/24 05:33 UTC 版)
日本では関東大震災(1923年)等の天災や東京大空襲等の絨毯爆撃を受けた後、トタンや有り合わせの木材、破壊されなかった建築物を組み合わせ、雨露をしのぐ程度のバラックが大量に建てられた。これらは震災・戦災後という非常事態に対し、応急的に発生したバラック建てであった。 関東大震災後には、市街地建築物法(現在の建築基準法)の規定に従った建築を行っていては住居の供給が間に合わないため、特別立法(いわゆるバラック令)により基準を満たさない建築物でも建てることが認められた。これらの多くは、小規模な住居・店舗だったが、中には築地小劇場のような比較的大きなものも建造された。こうした中で今和次郎らが「バラック装飾社」を設立し、商店などのバラック建築をにぎやかにデザインして街を彩った。バラック令は期間限定の法規であったため、期限満了後は補強をおこなって本建築並みの基準を満たすか、または取壊して建て直す必要があった。 西村貿易店(遠藤新) 大木合名会社(吉田五十八) アイディアルホーム(レイモンド社) 千疋屋フルーツパーラー(前田健二郎) 関東大震災後の仮設店舗:資生堂(川島理一郎) 小川屋呉服店(有馬組) 橘硝子販売店(関本勇治) 第二次世界大戦の終戦後には、外地からの引き揚げ者も多く、建物疎開跡の空き地などの土地に不法に建てられたバラックが多数に上った。色々な街で興行された闇市の商店も、その1つである。闇市から発展したアメ横、秋葉原電気街、新宿ゴールデン街などの店舗の中には、当時のバラックを思わせるような狭い間口で奥行きの無い店が見られる。
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