日本における発祥と展開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/06 22:06 UTC 版)
1907年(明治40年)、陸軍薬剤監の石塚左玄を会長として発足した食養会は、食事で健康を養うための独自の理論を展開した。その中に、その土地、その季節の食物がいいという考えがあった。 1912年(明治45年)、食養会理事で陸軍騎兵大佐の西端学が、この考え方を表すために提唱した。石塚の考えを一般化するために「地元の食品を食べると身体に良く、他の地域の食品を食べると身体に悪い。」と解説したところ、京都の僧侶が「仏典に身土不二という言葉がある。」と教えた。仏典とは意味が違うが、西端は以降この説を「身土不二(じ)」と呼び、食養会独自の大原則として広めた。 昭和に入ると、「地元の食品が身体に良いという考えは、仏教に基づく日本の伝統。」との説が、有機農業・自然食販売業・生協運動・一部農業団体・代替医療などの分野で広まった。例えば、食養思想を元にマクロビオティックを創始したことで知られる桜沢如一が、身土不二は法華経に基づくと記している。
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