日本における栽培技術と品種改良
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 09:15 UTC 版)
「稲作」の記事における「日本における栽培技術と品種改良」の解説
品種改良は当初耐寒性の向上や収量増を重点に行われた。近代的育種手法で育成されたイネのさきがけである陸羽132号は耐寒性が強く多収量品種であったことから、昭和初期の大冷害の救世主となり、その子品種である水稲農林1号は第二次世界大戦中・戦後の食糧生産に大きく貢献した。特筆すべきは陸羽132号、農林1号は食味に優れた品種でもあったことで、その系統を引くコシヒカリなど冷涼地向きの良食味品種が普及することにより、日本の稲作地帯の中心も新潟県、東北地方北部、そして北海道へと徐々に北方に移っていき、日本の稲作地図を塗り替えることになった。 「米余り」となった1970年以降、稲の品種改良においては、従来重点をおかれていた耐寒性や耐病性の強化から、食味の向上に重点をおかれるようになった。1989年から1994年の間、農林水産省による品種改良プロジェクトスーパーライス計画が行われ、ミルキークイーンなどの低アミロース米が開発された。 近年は西日本を中心に猛暑日が増え、高温による稲の登熟障害や米の品質低下が問題となっている。耐高温品種の育成、高温条件下に適合した稲栽培技術の確立が急がれている。
※この「日本における栽培技術と品種改良」の解説は、「稲作」の解説の一部です。
「日本における栽培技術と品種改良」を含む「稲作」の記事については、「稲作」の概要を参照ください。
- 日本における栽培技術と品種改良のページへのリンク