日本におけるヨーグルトの普及
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 22:35 UTC 版)
「ヨーグルト」の記事における「日本におけるヨーグルトの普及」の解説
日本国内では明治20年代、ヨーグルトは「凝乳」の呼び名で牛乳の残りを利用した整腸剤として販売されており、名のあるものでは1912年、東京の阪川牛乳店により「ケフィール」という滋養食品が開発されている。そして1915年、広島市のチチヤス乳業がヨーグルトの名称で販売をおこなったが、工業生産され一般に普及したのは戦後であり、1950年に明治乳業から発売された「ハネーヨーグルト」(瓶入り)が知名度を大いに高めた。 ヨーグルトは、発売開始当初は牛乳瓶と同じ瓶に入れられて販売されていたが、消費者の目には「腐ったミルク」「固まったミルク」と見られてしまい、販売業者にクレームが出たことから、牛乳との誤解を避けるため、前述の「ハネーヨーグルト」を経て1975年以降は、徐々に紙容器等を経て現在の形状のテトラパックやプラスチック容器に入れて販売されるようになっていった。 初期のヨーグルトは寒天やゼラチンで固められガラス瓶に充填されたハードタイプで、プレーンタイプの普及は特有の酸味と香りにより普及が進まず、受け入れられるまで期間が必要であった。 なお、日本の明治乳業は、イリヤ・メチニコフの誕生日の5月15日を「ヨーグルトの日」と制定している。 日本のトップブランドである明治ブルガリアヨーグルトは、ブルガリアのヨーグルトよりも酸味が抑えめで甘いとの意見がある。 日本では歴史的には「酪」(らく)と呼ばれ、仏教伝来とともに寺院の中などで伝えられていたが、寺院の外の庶民には広まらなかった[要出典]。
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