日本との開戦とアメリカの参戦とは? わかりやすく解説

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日本との開戦とアメリカの参戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 10:08 UTC 版)

ウィンストン・チャーチル」の記事における「日本との開戦とアメリカの参戦」の解説

1941年12月7日大日本帝国陸軍によるマレー作戦日英間が開戦した日英交戦態となったことを知らせ駐英日本大使への通知はやけに丁重で、「閣下忠実なる僕、ウィンストン・S・チャーチル」という署名結んでいた。チャーチルによればこれから殺す相手にはできるだけ丁重にした方がいい」のだという。チャーチルはその翌日日本宣戦布告したマレー作戦直後行われた真珠湾攻撃日米開戦した日米開戦報告聞いたチャーチル大喜びし、早速ルーズベルト電話したルーズベルトは「その通りだ。日本真珠湾攻撃した。これで我々は同じ船に乗ったわけだ」とチャーチル語ったという。チャーチル回顧録は「その日の夜、興奮感動疲れ果てていたが、私は救われ人間感謝の気持ち溢れた人間として眠りに付くことができた」と書いている。 さらに日本同盟国ドイツとイタリアアメリカ宣戦布告した。これもチャーチルにとっては願ってもないことだった。回顧録の中でチャーチルはこの時に勝利を確信した主張している。「ついにアメリカがその死に至るまで戦争突入したのだ。これで我々は戦争勝ったイギリス大英帝国滅亡免れたのだ。ヒトラー運命決まったムッソリーニ運命決まった日本人いたって粉微塵粉砕されるだろう」と書いている。1941年末に訪米したチャーチルは、アメリカ議会で「一体日本人は我々をどういう国民だと思っているのか!我々がそんなに簡単に屈する国民だと思っているのか!」と演説をした。 なお数年前から日本交戦状態にある中華民国総統蔣介石政府とも連携関係に入ったが、チャーチル蔣介石に「ドイツとの戦線最優先であり、日本との戦線二義的意味しかない」と通達している。蔣介石政府はすでにアメリカから大量支援受けていたにも関わらず、その多くを自らの私財として貯め込むような腐敗政権であり、このような政府支援してまともな戦い期待できなかった。同盟国というよりもお荷物に近い存在だったことを知っていたためともいわれる

※この「日本との開戦とアメリカの参戦」の解説は、「ウィンストン・チャーチル」の解説の一部です。
「日本との開戦とアメリカの参戦」を含む「ウィンストン・チャーチル」の記事については、「ウィンストン・チャーチル」の概要を参照ください。

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