日本との通好
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/22 09:27 UTC 版)
詳細は「渤海使」を参照 この遠征の結果、沿海部の南東部が渤海の版図に入ることで、日本海を越えて日本と通好する条件が整った。黒水部への出兵により唐との関係が悪化し、また新羅との対立もあった渤海は四面楚歌の情況を打破すべく日本との通好に着手した。最初の遣日本使は仁安9年(727年)に寧遠将軍郎将の高仁義を大使とする総勢24名である。悪天候のため蝦夷地に漂着し、高仁義ら16名が殺害されるなどの事件に遭遇しながらも、高斉徳ら8名が平城京に入り日本側の歓迎を受けている。 先代: 高王 渤海の第2代王 719年 - 737年 次代: 文王
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