日本での現役時代
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「ジョニー・セリス」の記事における「日本での現役時代」の解説
2012年4月に、関西独立リーグの神戸サンズに入団する。これはウィンターリーグを視察に来たリーグスカウトに勧誘されてものだった。リーグは当時原則として選手は無給だったが、神戸ではセリスら外国人に対しては給料が支払われた(NPBと契約した際の契約金の一部を収入とする目算だった)。神戸入団後、ベースボール・チャレンジ・リーグと定期交流戦を開催していた横浜DeNAベイスターズ二軍に選手不足を補うため練習生として雇われ、交流戦に出場する。このとき、対戦相手の富山サンダーバーズ(現・富山GRNサンダーバーズ)首脳陣の目にとまり、同年6月20日に入団することとなった。ベースボール・チャレンジ・リーグ時代の登録名は、引退するまで一貫して「ジョニー」だった。 2013年には同一リーグの福井ミラクルエレファンツに、シーズン途中(後期)の7月25日に入団。福井では初年度から4番を打ち、在籍している間に日本語で始めたFacebookが注目され、人気選手となった。2013年オフの11月に、千葉ロッテマリーンズ秋季キャンプにテスト生として参加したが、入団には至らなかった。 2015年には一塁手のベストナインに選出されている。 2016年シーズン途中の7月5日、「富山GRNサンダーバーズ」となっていた富山に移籍の形で4年ぶりに復帰する。この年オフに久しぶりに帰郷してウィンターリーグに参加し、20試合に出場して.327の成績をあげる。この年以降、引退するまでベネズエラのウィンターリーグには毎年参加した。2017年にはリーグの最多打点のタイトルを獲得。同年シーズン終了後に富山を退団。 2018年に滋賀ユナイテッドベースボールクラブに入団。滋賀ではコーチを兼任した。この頃にはリーグにいる外国人選手の相談役も引き受けていた。 2019年に、リーグで4球団目となる群馬ダイヤモンドペガサスに入団する。このシーズンは打率.316、本塁打13を記録する。同年シーズン終了後に群馬を退団。 「日本でなくてもトップリーグに入る」ことを目指していたが、同年オフに北海道日本ハムファイターズから通訳のオファーを受けたことで引退を決断した。
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