日本でのアメリカンフットボールの普及
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 23:08 UTC 版)
「ポール・ラッシュ」の記事における「日本でのアメリカンフットボールの普及」の解説
日本のアメリカンフットボールの歴史は、1934年春頃から、ポール・ラッシュ(立教大学教授)の声掛けにより、ジョージ・マーシャル(立教大学体育主事)、松本瀧藏(明治大学教授)、小川徳治(立教大学教授)、アレキサンダー・ジョージ(アメリカ大使館付武官)、メレット・ブース(アメリカ大使館付武官)、加納克亮(朝日新聞記者)らが立教大学に集まり、我が国でのフットボール競技活動開始を協議したことに始まった。 ラッシュは、1934年10月28日に立教大学五番館において東京学生米式蹴球連盟設立(現・関東学生アメリカンフットボール連盟)を設立。ラッシュは、合わせて立教大学、明治大学、早稲田大学の三大学にアメリカンフットボール部を創部する。 1934年11月29日には、明治神宮競技場において日本初のアメリカンフットボールの公式試合が開催される運びとなった。全東京学生選抜チーム(立教、明治、早稲田)と横浜カントリイ・アスレチック・クラブ(YCAC)との対戦で、開会式ではジョセフ・グルー米国大使が祝辞を述べ、観客は約2万人と盛況の中での試合となった。同年12月8日には、日本で最初のアメリカンフットボールのリーグ戦である東京学生リーグが開幕し、立教大学池袋グラウンドで初戦の立教大学対明治大学戦が開催された。 太平洋戦争中はアメリカンフットボールも敵性スポーツと判断されて中断されたが、戦後の再来日後、1948年に行われた第1回ライスボウルでは始球式のキックを行った。 1961年には日本アメリカンフットボール協会から「日本フットボールの父」と称号をもらった。この業績を記念して1984年からライスボウルの最優秀選手にはポールラッシュ杯が贈られるようになった。 立教大学体育会アメリカンフットボール部のチーム名“ラッシャーズ”はポール・ラッシュにちなんで名付けられた。
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