日本でのアマチュアデビュー断念
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 07:00 UTC 版)
「亀田和毅」の記事における「日本でのアマチュアデビュー断念」の解説
2005年興毅の協栄ジムへの移籍に伴い、東京に転居。東京都葛飾区に本拠地を置いて練習を行っていた。2007年4月からは2人の兄と同様、高校には進学せず2007年5月に行われる全日本実業団選手権でアマチュアデビューし、プロライセンスが取得できる17歳になり次第プロに転向する予定であった。しかし2007年3月7日、「髪型の前髪は眉毛まで、後ろ髪はうなじまでとの規則に違反」「(テレビ番組出演などが)アマ資格に抵触する可能性がある」として、JABFルールに則り、アマチュアのリングに上がれない可能性がある旨を、日本アマチュアボクシング連盟が亀田側に通達したとの報道があった。これに対し、和毅は「勝ち続けることで特例で北京五輪に出たる」と語ったが、父親でありトレーナーの亀田史郎は「違反のルールも曖昧。頭髪も社会人らしくないとムチャクチャ言いよる」「好き嫌いで亀田を排除しようとしているとしか思えん」とコメント。和毅を日本国外でデビューさせる意向を示した。2007年3月14日、天下茶屋中学校を卒業。 2008年の北京オリンピックボクシング競技を目指していたが、予選の段階で17歳以上という年齢制限があったため、この資格を満たさない和毅の出場は不可能となった。
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