日の出 (新潟市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/18 05:48 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動日の出 | |
---|---|
北緯37度55分12.81秒 東経139度4分29.32秒 / 北緯37.9202250度 東経139.0748111度 | |
国 |
![]() |
都道府県 |
![]() |
市町村 |
![]() |
区 | ■ 中央区 |
人口 | |
• 合計 | 1,590人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
950-0073[2] |
市外局番 | 025 (新潟MA)[3] |
ナンバープレート | 新潟 |
日の出(ひので)は、新潟県新潟市中央区の町字。現行行政地名は日の出一丁目から日の出三丁目。住居表示実施済み区域[4]。郵便番号は950-0073[2]。
概要
1968年(昭和43年)から現在の町名[5]。 新栗ノ木川の左岸に位置し、1丁目から3丁目がある[6]。
もとは日ノ出町1丁目から3丁目と沼垂の一部で[6]、町名施行前は、通称名として「日ノ出」が存在した[7]。
隣接する町字
北から東回り順に、以下の町字と隣接する。
世帯数と人口
2018年(平成30年)1月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
日の出一丁目 | 259世帯 | 497人 |
日の出二丁目 | 277世帯 | 621人 |
日の出三丁目 | 294世帯 | 472人 |
計 | 830世帯 | 1,590人 |
歴史
![]() | この節の加筆が望まれています。 |
- 日ノ出町(ひのでまち)
- 1941年(昭和16年)から1968年(昭和43年)まであった町字[5]。始めは3丁目、1942年(昭和17年)から1丁目から3丁目となる[5]。もとは沼垂と馬越、鴉又の各一部で、「日の出町」とも書いた[5]。
- 1942年(昭和17年)に馬越と沼垂の各一部を、1943年(昭和18年)に鴉又と馬越の一部を編入[5]。1968年(昭和43年)に、沼垂東1丁目から6丁目、日の出1丁目から3丁目、竜が島1丁目から2丁目となる[5]。
年表
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[8]。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
日の出一丁目 | 全域 | 新潟市立沼垂小学校 | 新潟市立東新潟中学校 |
日の出二丁目 | 全域 | ||
日の出三丁目 | 全域 |
交通
![]() | この節の加筆が望まれています。 |
道路
バス
- 新潟交通路線バス
- E5 牡丹山線
- 月見橋
- E6 竹尾線
- 月見橋
脚注
注釈
出典
参考文献
- “区別人口・世帯数、町丁別人口・世帯数(住民基本台帳人口)”. 新潟市. 2014年4月25日閲覧。
- 角川日本地名大辞典 編纂委員会『角川日本地名大辞典 15 新潟県』(株)角川書店、1989年10月8日。ISBN 4-04-001150-3。
- 『新潟歴史双書 8 新潟の地名と歴史』新潟市、2004年3月31日。
関連項目
|
「日の出 (新潟市)」の例文・使い方・用例・文例
- 元日には日の出を見るために多くの人が山に登る
- その日の出写真は美しかった
- 日の出は新しい一日をもたらす
- 海からの日の出は美しい光景だった
- 日の出のころに
- 日の出
- マッターホルンの頂上から見る日の出はまさに壮観だった
- 日の出前に
- 日の出とともに出かける
- 美しい日の出
- 彼はとても早く起きたので日の出は見られた
- 祖母は日の出とともに起きる
- 明日、23日の出勤情報を更新します
- 日の出前に家を出た。
- 日の出まで
- 日没から日の出まで
- その日の出は今までで一番素晴らしいものだった。
- その日の出は今まで見たことが無いくらい素晴らしいものだった。
- 会議に入る前に、本日の出席者のご紹介をします。
- 会議に入る前に本日の出席者のご紹介をします。
- 日の出_(新潟市)のページへのリンク