寄居町_(新潟市)とは? わかりやすく解説

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寄居町 (新潟市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/07 02:08 UTC 版)

日本 > 新潟県 > 新潟市 > 中央区 (新潟市) > 寄居町 (新潟市)
寄居町
新潟中央警察署
寄居町
寄居町の位置
寄居町
寄居町 (新潟県)
北緯37度55分19.84秒 東経139度2分25.12秒 / 北緯37.9221778度 東経139.0403111度 / 37.9221778; 139.0403111
日本
都道府県 新潟県
市町村 新潟市
中央区
人口
2018年(平成30年)1月31日現在)[1]
 • 合計 608人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
951-8113[2]
市外局番 025 (新潟MA)[3]
ナンバープレート 新潟

寄居町(よりいちょう)は、新潟県新潟市中央区町字。丁番を持たない単独町名であり、住居表示未実施区域[4]郵便番号は951-8113[2]

概要

1883年(明治16年)から現在までの町名で、かつて存在した「寄居白山外新田」の区域の一部。1883年(明治16年)に、幕末からの地名である寄居白山外新田から改称した[5]。町名は、旧町名にちなむ[5]

隣接する町字

北から東回り順に、以下の町字と隣接する。

歴史

分立した町字

1889年(明治22年)以後に、以下の町字が分立。

旭町通(あさひまちどおり)
明治元年に寄居白山外新田の一部地域から分立[6]
裏浜町(うらはまちょう)
1879年(明治12年)に分立。1883年(明治16年)に廃止[7]
営所通(えいしょどおり)
1879年(明治12年)に分立[8]
学校裏町(がっこううらまち)
1879年(明治12年)に分立[9]
北大畑町(きたおおはたちょう)
1879年(明治12年)に分立[10]
北浜通(きたはまどおり)
1879年(明治12年)に分立。1~2番町がある[11]
北横堀町(きたよこぼりちょう)
1879年(明治12年)に分立。1883年(明治16年)に廃止[12]
下旭町(しもあさひまち)
1879年(明治12年)に「下朝日町(しもあさひまち)」として分立。1883年(明治16年)に下旭町に改称[13]
田中町(たなかまち)
1879年(明治12年)に分立[14]
寺裏北町(てらうらきたまち)
1879年(明治12年)に分立。1883年(明治16年)に廃止[15]
寺裏通(てらうらどおり)
1879年(明治12年)に分立。1~2番町がある[15]
寺裏中町(てらうらなかまち)
1879年(明治12年)に分立。1883年(明治16年)に廃止[15]
寺裏南町(てらうらみなみまち)
1879年(明治12年)に分立。1883年(明治16年)に廃止[15]
中大畑町(なかおおはたちょう)
1879年(明治12年)に分立[16]
中横堀町(なかよこぼりちょう)
1879年(明治12年)に分立。1883年(明治16年)に廃止[17]
西大畑町(にしおおはたちょう)
1879年(明治12年)に新潟町の町域改変に伴い寄居白山外新田の一部地域から起立。町名は旧大字による[18]
西中町(にしなかまち)
1879年(明治12年)に「西中通(にしなかどおり)1~3番町」として分立。1883年(明治16年)に西中町に改称[19]
東大畑通(ひがしおおはたどおり)
1879年(明治12年)に「東大畑町(ひがしおおはたちょう)」として分立。1883年(明治16年)に東大畑通に改称[20]
東中通(ひがしなかどおり)
1879年(明治12年)に分立[21]
南大畑町(みなみおおはたちょう)
1879年(明治12年)に分立[22]
南浜通(みなみはまどおり)
1879年(明治12年)に分立。1~2番町がある[23]
南横堀町(みなみよこぼりちょう)
1879年(明治12年)に分立[24]
横朝日町(よこあさひまち)
1879年(明治12年)に分立。1883年(明治16年)に廃止[25]

町字の変遷

1872年
(明治元年)以前
1872年
(明治元年)
1879年
(明治12年)
1883年
(明治16年)
1889年
(明治22年)
1927年
(昭和2年)
寄居白山外新田 寄居白山外新田 寄居白山外新田 寄居町
旭町通 旭町通
水道町
寄居白山外新田 学校裏町
南横堀町
中横堀町 廃止
北横堀町
寺裏南町
寺裏中町
寺裏北町
横朝日町
裏浜町
寺裏通
東中通
下朝日町 下旭町
営所通
西中通 西中町
中大畑町
南大畑町
北大畑町
東大畑町 東大畑通
西大畑町 西大畑町
二葉町
田中町 二葉町
田中町
南浜通
北浜通

年表

  • 1845年(弘化2年) : 寄居村が新潟奉行支配下となり、寄居白山外新田と改称する。
  • 1872年(明治元年) : 一部から旭町通が分立。
  • 1879年(明治12年)4月9日 : 寄居白山外新田が「新潟区」に編入される。
  • 1883年(明治16年) : 寄居白山外新田から寄居町に改称。
  • 1889年(明治22年)4月1日 : 新潟区の市制施行により新潟市の町丁となる。
  • 2007年(平成19年)4月1日 : 新潟市の政令指定都市移行により、中央区の町丁となる。

世帯数と人口

2018年(平成30年)1月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

町丁 世帯数 人口
寄居町 306世帯 608人

小・中学校の学区

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[26]

番地 小学校 中学校
全域 新潟市立新潟小学校 新潟市立寄居中学校

主な企業・施設

観光

オギノ通り(オギノどおり)
オギノ式を開発した荻野久作医師に因む。

脚注

注釈
出典
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参考文献




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