施設・経営の問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/09 04:22 UTC 版)
「京都大学フィールド科学教育研究センター森林ステーション芦生研究林」の記事における「施設・経営の問題」の解説
前述のように、国内の木材価格が高く、薪炭が熱エネルギーの中心だった時期においては、大学演習林において伐採した材木のほか木炭などの林産資源を売ることで収益を上げることは当然とされており、芦生演習林においても伐採と施業によって収益を上げることで、「大学財政に寄与する演習林の経営」という考え方があったのはある意味自然である。特に当時の京都帝国大学では国内演習林の開設が他大学に遅れた上、演習林開設に要した予算が当時の大学予算の約.mw-parser-output .sfrac{white-space:nowrap}.mw-parser-output .sfrac.tion,.mw-parser-output .sfrac .tion{display:inline-block;vertical-align:-0.5em;font-size:85%;text-align:center}.mw-parser-output .sfrac .num,.mw-parser-output .sfrac .den{display:block;line-height:1em;margin:0 0.1em}.mw-parser-output .sfrac .den{border-top:1px solid}.mw-parser-output .sr-only{border:0;clip:rect(0,0,0,0);height:1px;margin:-1px;overflow:hidden;padding:0;position:absolute;width:1px}1/5に達しただけでなく、1923年の契約更改で地権者に支払われた22万円は、こちらも大学予算の約1/10に達する額であった。このような状況では、先発の大学国内演習林のように、地権者から土地を購入して演習林を開設することは無理な話であった。 ところが、投資経費を回収するために伐採と施業を行っても、その収益は地形上・植生上から市場価値の高い材木が少なく、搬出も道路が未整備であることから、コストの高い筏流しに頼らざるを得ず、予想より低いものであった。もっとも、立地条件等を勘案して、大学当局も不利を承知で演習林を開設したものであるが、「帝国大学の演習林」という看板が地元に過度の期待を抱かせることとなり、結果として演習林開設当初の契約不履行問題となってはね返ってしまった。それでも、戦中戦後の混乱期を経ながらも伐採と施業によって一定の収益を上げることができ、大学の財産形成に寄与したほか、一定ながらも地域還元が行われた。 その後、分収金の効力が発生すると、今度はその支払いに追われることとなった。前述のように天然更新や人工造林された材木の価値が低いとなると、つまるところ天然林の伐採に収益の主力を置くこととなる。そこに木材価格の低迷が重なって、地権者への分収金支払いのためにさらに天然林の大規模伐採を行うという悪循環に陥ってしまい、結果として収益を上げるどころか演習林の荒廃という事態を招くこととなった。また、借地であることから揚水ダム建設計画時に地元から演習林の返還要求が出されると、施設の存続が危ぶまれるような事態にまで発展することもあった。 大学側も地元側も、演習林の発足時に、「高収益の演習林事業」という夢を描いてしまい、そこからなかなか脱却できなかったことが演習林の経営に影をさす要因となったことは否めない。
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