新田町 (盛岡市)とは? わかりやすく解説

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新田町 (盛岡市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/19 13:34 UTC 版)

日本 > 岩手県 > 盛岡市 > 新田町 (盛岡市)
新田町
日本
都道府県 岩手県
市町村 盛岡市
面積
 • 合計 0.1164583 km2
人口
2023年(令和5年)11月30日現在)[1]
 • 合計 1,227人
 • 密度 11,000人/km2
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
020-0042[2]
市外局番 019 (盛岡MA)[3]
ナンバープレート 盛岡
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新田町(しんでんちょう)は、岩手県盛岡市の地名。丁番は持たない単独町名である。住居表示実施済み区域[4]郵便番号は020-0042[2]

地理

岩手県盛岡市南西部に位置する。

域内は住宅地が多くを占めており、駅はないものの、町内を田沢湖線秋田新幹線)が通過する他、夕顔瀬町との境界をIGRいわて銀河鉄道いわて銀河鉄道線が通過する。

歴史

 江戸時代は現在の新田町の周辺地域、即ち岩手郡下厨川村字堂の前、木伏、下田、三十軒等の雫石街道沿いの地域を新出町(新田町や夕顔瀬組町とも)と称した。新出町は1765年明和2年)に北上川に土橋の夕顔瀬橋が架橋されて以降、雫石街道の盛岡城下への入口として軍事的な要地となった為、夕顔瀬橋の橋詰の同街道沿い4町半程に築かれた足軽組町であった。1868年(慶応4年)の下厨川村絵図面には新田組丁とあり、字地として堂ノ前、木伏が見える。なお、新田町の名で下厨川村の字名となったのは、明治時代に入ってからとされる。
 1889年(明治22年)4月1日、町村制施行により南岩手郡厨川村が発足し、その一部となった。現在の新田町は、1913年大正2年)6月10日、編入合併により盛岡市の一部となった後、1965年昭和40年)に盛岡市三ツ屋、三十軒、下田の各一部に住居表示を実施し成立したもので、IGRいわて銀河鉄道いわて銀河鉄道線を境に西側の、盛岡駅西通一丁目、城西町、境田町に囲まれた区域となっている。

由来

明治時代の下厨川村の字名から。

世帯数と人口

2023年令和5年)11月30日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

大字丁目 世帯数 人口
新田町 695世帯 1227人

交通

鉄道

域内に鉄道駅は存在しない。盛岡駅が最寄り駅となる。

道路

施設

  • くりやがわ保育園
  • 新田町幼児公園

脚注

  1. ^ a b 盛岡市の町丁字別人口(住民基本台帳による)”. 盛岡市 (2023年11月30日). 2023年12月20日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2023年4月13日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2023年4月13日閲覧。
  4. ^ 住居表示実施町名一覧”. 盛岡市役所. 2023年1月17日閲覧。

参考文献

書籍




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