文久の修陵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 07:05 UTC 版)
宇都宮藩の建議で幕府が1862年(文久2年)から行った事業が「文久の修陵」である。こうした事業を幕府が許可した背景には、幕末という当時の世情が大きく影響している。この際に、各陵の工事前と工事後の様子を絵師に描かせ、上下二卷にまとめて1867年(慶応3年)に朝廷と幕府に献上したものがいわゆる「文久山陵図」である。現在、朝廷献上本は宮内庁書陵部の、幕府献上本は国立公文書館の所蔵となっている。2005年(平成17年)に国立公文書館本を元版とする『文久山陵図』が出版された。 文久の修陵で多少でも手が加わったのは109か所におよぶ。天皇陵だけでも、山城34、大和34、河内24、和泉3、摂津1、丹波2で全部で76か所となっている。
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