散逸と復原
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/28 15:05 UTC 版)
15世紀初め頃までは40巻揃っていたが、応仁の乱の影響で散逸した。失われた部分が多かったため、発見の待望から近世期には偽書まで作られた。江戸時代中期に塙保己一の門人・稲山行教が10巻分の写本を三条西家で発見(三条西実隆と公条の父子が筆写したもの。異説として柳原紀光の校訂本説もある)し、初めて刊行された。現存分(天理図書館蔵、重要文化財)は巻5・8・12・13(桓武)、14・17(平城)、20・21・22・24(嵯峨)の10巻で、淳和天皇の代はまったく欠けてしまっている。 六国史などの抜粋版である『日本紀略』と、六国史の項目分類である『類聚国史』等に引用文(逸文)があり、『日本後紀』欠落部分の概略を復元することができる。これらの逸文を収集したものに、鴨祐之編『日本逸史』、佐伯有義編『日本後紀逸文』がある。これらを踏まえて、下記の集英社訳注日本史料や講談社学術文庫が出版されている。
※この「散逸と復原」の解説は、「日本後紀」の解説の一部です。
「散逸と復原」を含む「日本後紀」の記事については、「日本後紀」の概要を参照ください。
- 散逸と復原のページへのリンク