教諭へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/26 16:54 UTC 版)
東京大学卒業後は東京、芝にある正則高等学校にて漢文を教える。6年後、慶應義塾志木高等学校が、外部から教諭の招聘をしていることを知り、同校の教諭となる。当時の慶應義塾志木高等学校の雨宮校長は、慶應義塾出身の教諭ばかりだと図らずも付和雷同し、教育の質の低下を来すとの危機感から、外部の教諭を増やすことにしていた。正則高等学校で数学を教えていた宮下昭三も篠田の誘いを受け、1年後に慶應義塾志木高等学校の教諭となった。他に、外部からの教諭には数学の牛尾教諭(東工大)、英語の斎藤(東京外語大)などがいた。 篠田の授業はユニークな授業で知られ、教育のモットーは「習うより慣れよ」「広く浅く」。 授業では、予習なぞどうせしないからと小刻みに生徒に輪読させ、一時間に三回は耳から入れ、また、専門家になる者は自身で研究するであろうから広い知識を取得することを目指していた。落第点をつけるのは、教え方が悪いからだと「授業は厳しく、点はやさしく」とも言っている。 授業では、自身の共著である「高等学校 漢文 上」を使っていた。 慶應義塾大学において、ある時期、慶應義塾志木高等学校からの内部進学者に中国語を第二外国語とする者が多かった。原因を調べてみたところ「篠田の漢文の授業が面白かったから」という理由が分かり、その名が塾内に轟いていると当時の校長、金子晃(後の会計検査院長)に言われたことが、とても嬉しかったと篠田は語っている。 課外活動では「馬術部」の顧問(当時は同校内に馬がおり、祖師谷大蔵に練習場もあった)を皮切りに、話が面白いからという理由で「落語研究会」、そして「マンドリンクラブ」「鉄道研究会」の顧問を歴任した。
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