落書の犯人について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/04 13:31 UTC 版)
「一ツ橋小学校事件」の記事における「落書の犯人について」の解説
この事件の発端となった差別落書について女性教諭は、 解同が、落書を書いた犯人の特定ではなく、書かれた者の調査のみを命じたこと。 落書事件が起る前から、森田益子が女性教諭の主人に対して"妻に部落民宣言をさせよ"と要求していたこと。 落書の犯人が捕まっていないにもかかわらず、解同が被害者を女性教諭と断定していること。 1988年1月から同年4月にかけて3回にわたり連続発生した落書が、解同による女性教諭への部落民宣言の強要開始以降、急に止まったこと。 森田益子が実行したように他人のプライバシーをビラでばら撒く行為は、発想が差別落書と共通していること。 などの根拠により、解同が解放教育の推進を目的として自ら仕組んだものと疑い、法廷でもそのように発言した。この点につき、高松高裁判決(裁判長・上野利隆)は 「なお、原告は、本件講演中で、被告らが原告に部落民宣言をさせることを意図して本件落書をした疑いがある旨の発言をしているが、以下認定の一連の事実経過の下において、そのような疑いを抱くことは一般にあり得ることであり、原告がそう疑ったことは無理からぬところと考えられる」 と述べた。
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