教育委員会事務局時代とは? わかりやすく解説

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教育委員会事務局時代(1955-1978)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/30 06:26 UTC 版)

飛騨市神岡図書館」の記事における「教育委員会事務局時代(1955-1978)」の解説

飛騨市神岡図書館前身となる神岡町図書館開館するきっかけ作ったのは、吉城郡神岡町住んでいた高校生である。この高校生1954年昭和29年)、時の神岡町長に宛てて手紙送り図書館の設置要望した。これに対して町長は、すでに約2,000冊を購入し神岡町教育委員会事務局2階設置予定作業進めている、と返答した。そして1955年昭和30年4月教育委員会事務局2階神岡町図書館開館した当時蔵書数一般書新聞・雑誌含め約2,500冊で、教育委員会職員による兼務だったため、土曜日午後日曜日祝日休館し、平日の9時から16時まで開館していた。図書貸し出しはできず、館内閲覧のみとしていた。神岡町図書館の開館は、岐阜県内市町村立図書館としては8番目で、町立では関ケ原町図書館に次ぐ2番であった1963年昭和38年)、1人1冊に限り貸し出しが可能となった。ただし小学生以下には貸し出しておらず、新刊書5日間、その他の図書は1週間貸し出し期間は短かった神岡町中心部から離れた地域へは公民館分館貸し出し業務委託していた。この頃図書館利用者1日25 - 30人で、うち貸し出し15 - 17であった利用者高校生中心で、特に定期テスト期間と大学受験期に利用多かった1966年昭和41年)になると6,811冊に蔵書増えたが、町民1人当たりに換算すると0.27冊にすぎず、なお不十分であった。それでも農村部への3週間おきの巡回貸し出し岐阜県立図書館巡回文庫活用した読書サークル育成町立図書館読書感想文コンクール開催などの事業行っていた。1976年昭和51年)になると住所氏名書け小学生貸し出し可能にし、開館時間の延長17時30分まで)、貸し出し冊数増加(3冊まで)を行った図書館充実に対して利用実績芳しくなく、貸し出し登録者数岐阜県公立図書館で最低の197であった

※この「教育委員会事務局時代(1955-1978)」の解説は、「飛騨市神岡図書館」の解説の一部です。
「教育委員会事務局時代(1955-1978)」を含む「飛騨市神岡図書館」の記事については、「飛騨市神岡図書館」の概要を参照ください。

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