教育委員会事務局時代(1955-1978)
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「飛騨市神岡図書館」の記事における「教育委員会事務局時代(1955-1978)」の解説
飛騨市神岡図書館の前身となる神岡町立図書館が開館するきっかけを作ったのは、吉城郡神岡町に住んでいた高校生である。この高校生は1954年(昭和29年)、時の神岡町長に宛てて手紙を送り、図書館の設置を要望した。これに対して町長は、すでに約2,000冊を購入し神岡町教育委員会事務局の2階に設置予定で作業を進めている、と返答した。そして1955年(昭和30年)4月に教育委員会事務局の2階に神岡町立図書館が開館した。当時の蔵書数は一般書・新聞・雑誌を含め約2,500冊で、教育委員会の職員による兼務だったため、土曜日の午後と日曜日・祝日は休館し、平日の9時から16時まで開館していた。図書の貸し出しはできず、館内閲覧のみとしていた。神岡町立図書館の開館は、岐阜県内の市町村立図書館としては8番目で、町立では関ケ原町立図書館に次ぐ2番目であった。 1963年(昭和38年)、1人1冊に限り貸し出しが可能となった。ただし小学生以下には貸し出しておらず、新刊書は5日間、その他の図書は1週間と貸し出し期間は短かった。神岡町中心部から離れた地域へは公民館の分館に貸し出し業務を委託していた。この頃の図書館利用者は1日25 - 30人で、うち貸し出しは15 - 17人であった。利用者は高校生が中心で、特に定期テスト期間と大学受験期に利用が多かった。1966年(昭和41年)になると6,811冊に蔵書が増えたが、町民1人当たりに換算すると0.27冊にすぎず、なお不十分であった。それでも農村部への3週間おきの巡回貸し出しや岐阜県立図書館の巡回文庫を活用した読書サークルの育成、町立図書館読書感想文コンクールの開催などの事業を行っていた。1976年(昭和51年)になると住所・氏名の書ける小学生も貸し出しを可能にし、開館時間の延長(17時30分まで)、貸し出し冊数の増加(3冊まで)を行った。図書館の充実に対して利用実績は芳しくなく、貸し出し登録者数は岐阜県の公立図書館で最低の197人であった。
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