教会活動からの離脱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/17 22:53 UTC 版)
「イヴァン・イリイチ」の記事における「教会活動からの離脱」の解説
他方で、ローマ・カトリックに対して、その「独善的、官僚制的、排外主義的体質」を認め公然と「文化帝国主義」と批判していたイリイチに対して、ボストンのクッシング(英語版)枢機卿とメキシコ司教会議はイリイチの追放活動を展開。これに対して、スペルマン枢機卿やクエルナバカの司教メンデス・アルセオはイリイチを擁護し、1960年代末にバチカンと大西洋をまたぐ大論争が展開されることになった。 このなかで、CIAによる報告も受けたバチカンはイリイチを呼び出し、地下奥深くで覆面の神の使いによる異端審問さながらの質問を浴びせるも、イリイチはこの質問状を公開したことから、バチカンの怒りは頂点に達した。第2バチカン公会議にも関与したイリイチであったが、こうして1969年に司祭の資格を放棄し教会活動を去ることになった。 そしてイリイチは、この頃から脱学校論を提唱し、先進国による開発援助などを批判する思想家として広く知られるようになり、数多くのオルタナティブな思想を展開し、やがてペンシルベニア州立大学などで教鞭をとるなど幅広く活躍した。 『技術社会』で先駆的な技術文明批判を展開したフランスのプロテスタント思想家、ジャック・エリュール(1912年 - 1994年)との交流も、特筆に値する。エリュールの没後に開かれたあるシンポジウムで、イリイチはエリュールに対する賛辞を捧げている。
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