救貧農場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/06/03 23:36 UTC 版)
「救貧院 (プアハウス)」の記事における「救貧農場」の解説
救貧農場は、郡や町が運営する、貧困者(おもに高齢者と身体障害者)を公費で支援する居住施設であった。19世紀半ば以降、合衆国では一般的なものとなったが、1935年の社会保障法の発効以降は、使用されなくなり、1950年ころまでにはほとんど姿を消した。 救貧農場の大部分は、農場として機能しており、少なくとも自家消費する分の穀物や畜産物などは生産していた。居住者は、農場の仕事のほか、家事や他の入居者の世話などに、健康の許す範囲で労働を提供することが期待されていた。規則は厳格で、各人に割り当てられた空間は最低限のものであった。 救貧農場は合衆国の(市町でも、州でも、連邦でもなく)郡役所が、領域内の要支援者に社会的レービスを提供した伝統に由来するものである。連邦政府は、1854年にフランクリン・ピアース大統領が貧困精神障害者福祉法案(Bill for the Benefit of the Indigent Insane)を拒否権発動によって葬って以降、70年以上もの間、社会福祉には関わらなかった。こうした伝統は現在も続いており、ほとんどの場合、州法によって成文化されているが、今日では、財政支出の面において州や連邦政府の役割が増しつつある。ヘレン・ケラーの教師で、後に終生の友となったアン・サリヴァンは、19世紀にこの種の施設で育てられた後、パーキンス盲学校に学んだ。彼女の経験を取り上げた戯曲『奇跡の人』、そのテレビ・ドラマ版(1957年)、ブロードウェイ上演版(1959年)、映画『奇跡の人』(1962年)、1979年と2000年のテレビ版は、いずれもこうした施設における過酷な境遇の描写を盛り込んでいる。
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