政治的な困難
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/06 08:09 UTC 版)
フォードがストライキを行っているとき、労働党の大会がブラックプールにおいて始まった。リヴァプールのウェイヴァーツリー選挙区労働党委員で、労働党内のトロツキー派の過激派の支持者であったテリー・ダッフィーは10月2日に動議に移った。その動議においては「政府は直ちに給与交渉への介入をやめるべきだ」とする主張がなされた。マイケル・フットはその動議を採決してはならないと提案したのに、決議は4,017,000票対1,924,000票で実行された。翌日、首相は敗北を認める形で、次のように発言した。「私は昨日のことは、民主主義における教訓だと考えている」と。しかし、首相はインフレに対する戦いを自身はやめないことも宣言した。 間もなくして、政府のイギリス下院議会での立場はますます悪化した。選挙前は労働党は3議席差で多数派だったが、補欠選挙を通じ、1976年にその地位を失った。その結果、1977年には票数の優位を維持するために自由党との連立を強いられることになった。ちなみに連立は1978年7月に消滅を迎えた。追加の議席獲得を北アイルランドに認める決断によってアルスター統一党からの一時的な支持獲得が可能となった。しかし、アルスター統一党の党員たちにとって、追加の議席を認可する法案が可決されれば、こうした支援が途絶えることは分かりきったことであった。アルスター統一党の棄権によって、政府は11月9日の不信任決議において312票対300票で敗れることになった。
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