政治家“東国原英夫”に転身
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「東国原英夫」の記事における「政治家“東国原英夫”に転身」の解説
2006年に本人を代表とする政治研究会「そのまんま会」を設立、12月4日に故郷宮崎県の県選挙管理委員会に政治団体としての届け出を行い、地元での事務所開きにおいて、支援者を前に自らの出馬にかける思いを語った際は過去の不祥事についても自ら切り出し語った。その数日後に、所属していたオフィス北野を退社。官製談合事件で当時の現職知事安藤忠恕が逮捕されたことに伴う第17回宮崎県知事選挙(2007年1月21日投開票)へ無所属で立候補。当初は過去の問題行動や言動などのイメージもあって出馬を疑問視する声や東国原を泡沫候補とする声もあった。 東国原は選挙活動において、タレント候補にありがちなタレントの選挙応援を一切受けないこと、遊説や立会演説では宮崎弁を使いさらに早稲田大学出身をアピールし、愚直なまでに宮崎に関する政策を訴えるなど「脱タレント」を印象付ける選挙活動を展開した。得意のマラソンも選挙活動最終日まで封印。最後の最後でマラソンをしながら選挙活動を行った。宮崎再建・宮崎自立のための具体策を打ち出した『そのまんまマニフェスト』や無所属であることの「しがらみのなさ」を強調しての県政批判などは政治に無関心な無党派層の関心を呼び起こしただけではなく、現状に不満を持つ政党支持層へも支持を拡大していくこととなった。 東国原をサポートする政務秘書に元たけし軍団の吉川敏夫が就任する。早川伸吾と共に、多忙な東国原の生活面を助けている。 こうして、「しがらみのなさ」や「宮崎を変える」という期待感が県民に好印象を与えたことに加え、保守陣営の分裂という追い風も幸いして、得票のうち約45%を得て当選した。各マスコミによる出口調査では無党派層だけでなく各政党支持層からも一定の票を獲得したことが窺える。小学校の卒業文集に「夢は政治家とお笑い芸人」と書いていたが、その夢を2つとも叶えることとなった。
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