捜査結果の公表と国交断絶
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/01 01:21 UTC 版)
「アルコス (ソ連)」の記事における「捜査結果の公表と国交断絶」の解説
1927年5月24日、イギリス首相ボールドウィンは、アルコスを捜索した結果を次のように発表している。 アルコスの地下室には写真部と暗号電信部が存在し、その部屋ではロシア商務官が特権を用いて国際的な共産化の宣伝、加えて政治と軍事上の秘密活動を行っていたことを示す証拠書類を発見した。 ソビエト外交官と商務官とアルコスの人員は、互いに連絡を取るため三者の区別がないことが確認された。 アルコスの捜索の際に商務官首脳の事務室の隣に秘密の部屋が発見され、そこでは多数の書類が焼却されていたが、諸国の共産党員から通信の名簿が押収された。それによると、ロンドンのアルコスはアメリカ、メキシコ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカの共産化宣伝と政治・軍事に関する諜報活動の本部であることが確認された。 ソビエトはイギリス船員に対する共産主義の宣伝を大規模に行っていたことが判明した。 押収された多数の暗号電報の中に、ソビエトの外務人民委員チチェーリンから北京大使館に出されたものがあり、それは大使の後継者決定まではボロディンはモスクワより直接指揮命令を受けるという訓電の写しであった。他にも南京事件についてイギリス政府の収集した証拠を覆す宣伝材料を電報で取り寄せ、これをイギリス労働党とその機関紙『デーリーヘラルド』 (Daily Herald) に供給することを指示する訓電、加えて中国問題、イギリスの労働法改正法案などに関する宣伝文書並びにイギリス労働団体との往復文書も見つかった。 ボールドウィンはこのようなソビエト官憲の特権乱用、宣伝、国際的諜報活動はイギリスが見過ごすことのできないものとして、対ソビエト方針としてソビエトとの通商条約を破棄し、ソビエト商務官と外交官のロンドンからの退去とモスクワ駐在のイギリス外交官の召還を要求、5月26日下院において承認された。
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