拡張および改良
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/02 17:37 UTC 版)
問題が発生したが直ぐに解決された。運河の全長に渡って水漏れがあったが、これは新発明のコンクリートで水面下を固めて解決された。底の粘土の損耗も問題となったが、流速を4 mph (6 km/h)に抑えることにした。 当初の設計での輸送量は年間150万米トン(136万メトリックトン)であったが、これは直ぐに超過することになった。1834年に運河を改良する野心的な計画が始まった。第一次拡張として知られる大規模で一連の建設プロジェクトにより、運河の幅は70フィート (21 m)に、深さは7フィート (2.1 m)に広げられた。閘門は広くされ、あるいは新しい場所に新設され、また新しい水路も多く造られた。さらに一部を真っ直ぐにしたり、直線路を迂回させたりして、1825年に造られた経路の一部は放棄されることになった。第一次拡張は1862年に完工し、次の数十年間も小さな拡張が続けられた。 今日、第一次拡張の間に作られた運河を辿る経路が、「改良エリー運河」あるいは「古エリー運河」と一般に呼ばれ、現在使われている経路と識別されている。拡張期に放棄された1825年運河の残滓は今日でも「クリントンのどぶ」と呼ばれることがある。これは最初の建設時に人気のあった渾名でもある。 支線運河と呼ばれる運河があちこちに追加された。カユガ=セネカから南にフィンガー湖群に向かう線、オスウェゴでスリーリバーから北のオンタリオ湖に向かう線、およびトロイからシャプレーン湖に向かう線であった。クルックト湖運河と呼ばれる短い運河は1833年から1877年までキューカ湖とセネカ湖を結んだ。チェマング運河は1833年にセネカ湖の南端とエルミラを結び、ペンシルベニア州の石炭や木材を運ぶ重要な経路になった。1836年のチェナンゴ運河はエリー運河のユーティカからビンガムトンを結び、チェナンゴ川の産業を盛り上げることになった。チェナンゴ運河とチェマング運河はエリー運河と共にサスケハナ川系統を構成した。ブラック川運河はブラック川とエリー運河をロームで結び、1920年代まで供用された。ジェネシーバレー運河はジェネシー川に沿って走り、オーリアンでアレゲニー川と結ばれたがアルゲイニー地区をオハイオ川さらにミシシッピ川と結ぶ計画は実行されなかった。ジェネシーバレー運河は後に放棄され、ジェネシーバレー運河鉄道となった。
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