押尾川の乱とは? わかりやすく解説

押尾川の乱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 06:48 UTC 版)

瑞輪寺 (台東区)」の記事における「押尾川の乱」の解説

この寺は大相撲関係者相撲ファンの間では、いわゆる押尾川の乱の舞台になった場所として有名である。1975年3月28日当時二所ノ関親方8代、元大関佐賀ノ花)が亡くなったが、この時点では後継者決まっておらず、押尾川親方17代、元大関大麒麟)が「師匠に後を託された」として後継者として名乗りを上げるが、他にも既に分家独立していた大鵬親方一代年寄、元横綱大鵬)や当時現役金剛最高位関脇)も名乗りを上げており、すぐには決着つきそう無かったので、とりあえ部屋親方として最長老である湊川親方10代、元前頭筆頭十勝岩)が暫定的に9代目二所ノ関親方となった後継者争いこじれて長期化したため大鵬親方後継者候補から降りたが、大おかみ(佐賀ノ花の妻)が後継者金剛望んでおり、押尾川親方には継がせない意志持っていたために問題複雑化同年9月場所前に金剛佐賀ノ花の娘と結婚し婿養子となることで後継者正式決定した。これに納得がいかない押尾川親方は、自身支持する力士16とともに分家独立願い出るが、やはり大おかみが全く許そうとせず、そのため押尾川親方弟子16とともに決起二所ノ関部屋飛び出してこの寺に籠城するという実力行使打って出る事態となった。この緊急事態にも、相撲協会は「一門内で解決せよ」として積極介入避け考えであったために、門内の実力者である花籠親方11代、元前頭3枚大ノ海)が調停向けて動き9月場所後に押尾川部屋創設弟子16名中6名の移籍認めることで決着がついた。

※この「押尾川の乱」の解説は、「瑞輪寺 (台東区)」の解説の一部です。
「押尾川の乱」を含む「瑞輪寺 (台東区)」の記事については、「瑞輪寺 (台東区)」の概要を参照ください。

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