押尾川部屋の分家独立騒動(押尾川の乱)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 07:15 UTC 版)
「二所ノ関部屋 (1909-2013)」の記事における「押尾川部屋の分家独立騒動(押尾川の乱)」の解説
二所ノ関部屋の相続争いに敗れた17代押尾川は、1975年9月3日に自分を慕う小結・青葉城や幕内・天龍など16人の力士を連れて8代二所ノ関の墓所である東京都台東区谷中の瑞輪寺に立てこもり、分家独立を申し入れた。これに対し8代未亡人側は、17代押尾川の要望を一切認めなかった。 そこで、二所ノ関一門の実力者である11代花籠(元幕内・大ノ海)が調停に入り、1975年9月場所後に押尾川部屋の分家独立を認めること、16人中6人(青葉城ほか幕下力士)だけの移籍を認めることで合意した。この際に移籍が認められなかった幕内・天龍(天龍源一郎)は、翌年9月場所を最後に26歳で廃業して全日本プロレスに入門し、プロレスラーへと転身した。
※この「押尾川部屋の分家独立騒動(押尾川の乱)」の解説は、「二所ノ関部屋 (1909-2013)」の解説の一部です。
「押尾川部屋の分家独立騒動(押尾川の乱)」を含む「二所ノ関部屋 (1909-2013)」の記事については、「二所ノ関部屋 (1909-2013)」の概要を参照ください。
- 押尾川部屋の分家独立騒動のページへのリンク