批判・研究型と取込型の違い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 03:12 UTC 版)
「パロディ・モンタージュ写真事件」の記事における「批判・研究型と取込型の違い」の解説
2要件説の問題1つ目として、引用のパターンすべてに適用できないという批判が挙げられる。たとえば他者発言を引用して取り上げ、メディアや専門家が解説を加えるような、典型的な「批判・研究型」(論評型) には2要件説がフィットする。しかしながら本件フォトモンタージュ技法のように、素材を取り込んだ上で自己の著作物と一体化させる「取込型」の表現形態の場合、明瞭区別性の要件を満たすことは極めて困難であり、自由利用を阻害しかねない、と知的財産権を専門とする法学者の田村善之は批判的分析を加えている。田村のこの指摘は、同じく知的財産法学者の中山信弘や弁護士・清水節、弁護士・福井健策なども取り上げている。このような取込型の場合、以下3点を勘案した複合的な判断が必要ではないかと提言されている。 他に代わる表現手段がないか (つまり素材を使う必然性) 必要最低限の引用に留まっているか 原著作者に与える経済的な不利益が僅少か ただしこの見解に基づいたとしても、アマノのモンタージュ写真は1点目の代替手段の点で条件を満たさない。これは第一次上告審で裁判長の環が補足意見を述べたように、アマノが雪山を自身で撮影してタイヤ画像を合成しても風刺の目的を達成しうるからである。パロディの法的な定義は確固としたものが存在しないものの、パロディの元となった作品が一般的に知られており、何を模倣したのかがあからさまであることが特徴として挙げられている。一方、アマノのモンタージュ写真は素材としてAIUの広告カレンダーが使われているものの、この元ネタを一般鑑賞者が気づかない可能性が高く、白川の写真をわざわざ用いる必然性の説得力に欠け、むしろフリーライダー (タダ乗り) の問題を孕んでいる。 したがって、本件での判決はパロディ全般を否定して萎縮させているわけではない点に注意が必要である。たとえば田中角栄元首相らが収賄で逮捕されたロッキード事件を風刺するため、全内閣の集合写真を素材引用して、顔をピーナッツに置き換えたモンタージュ写真を仮に創作した場合、1点目の代替性・必然性の条件を満たすと考えられる。賄賂の現場で金額単位を表すため「ピーナッツ」の隠語が用いられていたことが、当時のマスコミに大きく取り上げられたためである。このようなケースバイケースや総合判断を求める学説は、田村以外にも渋谷達紀、小泉直樹、高林龍といった法学者からも唱えられている。そもそも、本件はパロディとは何かを直接的に扱った判決とは言えず、あくまで引用の要件について取り扱ったリーディングケースである。しかしながら実態として、本件判決の結果、日本でパロディを通じた表現の自由が法的に狭められたとの見解も複数存在し、本件判決によって日本では「パロディの息の根が止められたかのようにいわれることもある」。
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