所得・物価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 05:59 UTC 版)
「ナチス・ドイツの経済」の記事における「所得・物価」の解説
1930年代のドイツ人の時給は、マルク単位ではなくペニヒ単位だった(1ドイツマルク=100ペニヒ)。時給1マルクを超えるのは工作機械熟練工・植字工などであり、男性で最も低いのは製材所・繊維工場で59ペニヒだった。1936年の完全雇用時点では、全納税者の62%の1450万人は年収1500マルク以下で週給30マルク・時給約60ペニヒにあたる。ブルーカラー労働者の年収は1500から2400マルク、ホワイトカラー労働者は3000マルクだった。所得は職業の他に性別によって大きく格差があった。 支出では、飲食物・タバコ・コーヒーなどが生活費の43%から50%であり、家賃に12%、公共料金に5%かかった。4人家族の場合は残りが月額67マルクとなり、これで衣服、住宅設備、交通費、医療保険費、教育費などの出費をやりくりする必要があった。 アメリカやイギリスとの経済格差は大きく、同時代のアメリカのデトロイトと同水準の生活をベルリンやフランクフルトでするには5380マルクから6055マルクが必要だった。1930年代後半にラジオを購入できたのは半数の世帯であり、イギリスは68%、アメリカは80%だった。
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