戦間期: 王立空軍の創設
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「イタリア空軍」の記事における「戦間期: 王立空軍の創設」の解説
第一次世界大戦終了後の1923年3月28日、航空戦力が戦争で重要な働きをしていることに鑑み、ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世はイタリア空軍を陸軍から独立させた。これによりイタリア王立空軍(レージャ・アエロナウティカ、イタリア語: Regia Aeronautica)が正式に発足したのである。しかし大戦後イタリア国内は大不況に襲われ、王立三軍も財政難に陥り、旧式化した装備の更新もままならなくなっていた。そんな中、王家の後ろ盾で成立したベニート・ムッソリーニ率いるファシスト政権は軍備の拡張を宣言、特に高い名声を得ていたイタリア空軍は政権の宣伝材料として非常に寵愛を受けた。 ファシスト政権は国家規模での支援で優れた航空機を開発させ、各国空軍にとって「平時の戦い」であったシュナイダー・トロフィー・レースなどの スピードレースや長距離飛行記録競争で次々と記録を塗り替えていった。イタリアの航空技術と人材を誇るこの一連の戦いは、イタロ・バルボ元帥による二度に亘っての大西洋無着陸横断で成功の頂点に達した。 だが、1930年後半に入ると成功していたムッソリーニの経済政策は世界恐慌で破綻し、再びイタリア空軍は財政難に苦しむ様になった。しかし軍の窮状と対照的に、ムッソリーニは、自らの政権を保持する為の性急な戦争へと直走って行く事になる。
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