戦後・東京急行バス時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 01:31 UTC 版)
「東急バス中延営業所」の記事における「戦後・東京急行バス時代」の解説
1947年(昭和22年)、大東急は中原街道沿いのバス路線の再開を決める。このとき、GHQの指導により、都営バスが共同運行の形で参入して東京都心への直通とすることになり、東急初の都営共管路線3路線の一つ、雪が谷線の運行が始まった。東急バスでは、この時に閉鎖まで続く形の中延営業所が開設されたとの解釈をしている。 「東急バス#新生・東急電鉄時代」も参照 1961年(昭和36年)4月15日、馬込循環線がワンマン運転に切り替えられる。東京急行はもちろん、東京都内の全路線バスを通じても初のワンマン運転として、大きな意義を持った。 「ワンマン運転#戦後」も参照 1979年(昭和54年)、雪が谷線の共同運行が解消される。これにより中延営業所は規模を急速に縮小。多摩田園都市構想による神奈川県内路線の成長もあり、東急電鉄は経営資源を神奈川県内に振り向けたいとして中延営業所を廃止することになった。1981年(昭和56年)6月22日、立ち上げを翌日に控えた青葉台営業所と引き換えに中延営業所は廃止され、残った路線は荏原・瀬田・池上の各営業所に引き渡された。 詳細は「東急バス青葉台営業所#沿革」を参照
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