戦後 機雷掃海
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1945年(昭和20年)8月25日、横須賀鎮守府第一予備海防艦に定められる。11月30日、海軍省の廃止に伴い帝国海防艦籍から除かれた。12月1日、第二復員省の開庁に伴い、大湊地方復員局所管の特別掃海艦に定められる。 1946年(昭和21年)3月、海防艦倉橋、海第四十八号、海第四十九号、海第七十七号、米掃海艇ショーヴラー(英語版)(USS Shoveler, AM-382)、レッドスタート(英語版)(USS Redstart, AM-378)と共に奄美大島を基地にして喜界島近海での掃海任務にあたった。 9月1日、大湊地方復員局所管の特別輸送艦に定められ、同時に特別保管艦に指定される。1947年(昭和22年)3月31日、横須賀地方復員局所管に改められた。8月25日、第三次引渡しのため佐世保を出港し青島へ向かう。8月29日に特別輸送艦の定めを解かれ、賠償艦として青島で中華民国に引き渡された。
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