戦場カメラマン・橋田信介とのつながり
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「ナイトシャッフル」の記事における「戦場カメラマン・橋田信介とのつながり」の解説
タイ・バンコクでのロケを行っていた際、山本華世やその同行スタッフと知り合ったのがきっかけ。当該地域を取材拠点にしている関係で裏の裏までバンコクに詳しく、その後この収録のブレーンとして携わり、番組にも出演した。この収録で華世は橋田と懇意となり、その後一日デート企画に出演を依頼、福岡のおいしいスポットを渡り歩いた。橋田は博多ラーメンや新鮮な刺身に舌鼓を打ち、「タイはろくな魚がない」などの名(迷?)言も残した。 その後も橋田はシャッフルの企画に関わる予定であった。しかし、「これが最後の戦場取材になるだろう」と漏らしていたイラクで襲撃に遭い、2004年5月27日に帰らぬ人となった。 橋田の死の直後、番組では追悼企画が組まれ、元気だった橋田の姿が改めて電波に乗った。視聴者からは橋田を悼むメッセージが多く寄せられ、華世が思わず涙ぐむほどであった。また、橋田は死の直前、現在でも続く「ホークス人文字応援企画」(福岡ドーム内野スタンドの一角を買い切り、高校野球の応援に見られるような人文字を使ってホークスを応援する企画)を大変楽しみにしていたという。その事もあり、人文字応援は単なるホークスの応援だけでなく、橋田への、そして平和への祈りの意味も込められ、現在でも続く人気企画となった。 橋田の死後、「久留米ラーメンがタイ進出を目指す」というロケ企画に、妻である橋田幸子が参加。夫婦ともども番組に関わることとなった。
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