戦場カメラマンへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 09:09 UTC 版)
「マーガレット・バーク=ホワイト」の記事における「戦場カメラマンへ」の解説
以後、バーク=ホワイトの名声は雑誌の成功とともに高まり、第二次大戦が勃発するとアメリカの写真ジャーナリズムを代表する一人となった。とくに名高いのは1941年6月、ドイツ軍がソ連に侵攻したときの写真で、彼女はこのとき偶然現地に滞在しており、モスクワ爆撃を撮影した唯一の外国人写真家となった。爆撃のさいには、ホテルの地下壕へ避難せよという命令を無視してアメリカ大使館屋上へ上り、空爆の様子をカメラに収めている(のちに『ロシアの戦争を撮る(Shooting the Russian War)』1942と題する写真集にまとめられる)。 開戦後、彼女は唯一の女性の戦場カメラマンとして戦地に派遣され、主にイタリアや北アフリカで撮影した作品は『ライフ』を通じてアメリカ社会で広く注目されるようになった。この中では、哨戒艇に同乗取材のさいにUボートからの魚雷が命中したスクープ写真などが知られている。また戦争末期にパットン将軍の第三軍に同行して撮った写真は、強制収容所での悲惨な現状を直視する作品を含んでおり、戦場カメラマンとしてのバーク=ホワイトの代表作とも見なされるようになった。
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